2012/04/28

福岡正信さんの粘土団子

福岡正信さんには、農法だけでなく思想にも大きな影響を受けた。福岡さんが考案した粘土団子について本で読んだときから、この小さな畑でもやってみたいと思っていた。材料がそろい、やっと実行に移すことができた。

粘土団子は、複数の種類の種子を混ぜ、赤土など粘土質の土と混ぜて水を加え、団子状にして畑にまくというもの。そうすれば、環境と時期にあった種が自然に発芽する。この方法ならば、ある場所に育つ野菜の種類を決めるのは、人間ではなく自然だ。また、豆類などそのまままくと鳥に食べられやすいものは、粘土団子にして播いておけば、発芽まで食べられることはないという。

この粘土団子は、アフリカなど、世界の砂漠で緑化にも活用されているそうだ。混ぜる種の種類は多ければ多いほどよく、100種類以上と本には書かれていた。1つの団子に入るタネの種類は2-3種類が望ましいという。作り方は、『無-3(自然農法)』に書いてあった。

今回は、赤土が手に入らなかったので、赤玉土を網に通して粉にしたものを代用したが、粘土質が弱かったせいか、乾燥してから割れてしまった。田んぼなどから赤土が入手できない場合、木節粘土という陶芸などに使われる土がよいらしいということが後でわかった。


粘土団子に入れる種。在来種の豆は食用から種用に残しておいたものを様々混ぜた。入れた種は:トウガラシ、バジル、つるなしいんげんミックス、ゼファフィノフェンネル、レモンバーム、クローバー、岡ひじき、金ゴマ、黒ゴマ、滝の川ごぼう、丸ズッキーニ、長ナス(ジャパニーズピクリング)、カリフォルニアワンダーピーマン、チャドリックチェリートマト、コールラビアズールスター、セージ、カレンデュラ、ナスタチウム、空芯菜、不断草、モロヘイヤ、大葉ニラ、大葉、時なし大根、ルッコラ、本紅金時人参、旭大和西瓜、黒千石大豆、間作大豆、フクユタカ(大豆)、くらかけ豆、金時豆、十六ささげ、鞍掛豆、黒インゲン、青大豆

粘土団子を丸めているところ。並べて乾かし、乾いてきたものからもう一度てのひらで転がして表面をつるつるに磨く。

完全に乾く前の粘土団子。上が丸めただけのもの、下が丸めた後、表面を磨いたもの。

翌朝、悲しいことに粘土団子が割れていた。原因は、赤土の粘土質が低かったためにうまくかたまらなかったことと、豆が水分を吸って膨張したこと。インターネットで調べると、豆は団子に入れる前に、水に浸しておくとよい、と言う人もいたが、福岡さんは特に何も言っていなかったので、何がベストかはわからない。割れたものはもう一度団子にし直すことになった。

一つの団子に入る種の数のコントロールは思った以上に難しく、割れてみると、かなりの種類が一つの団子に入っていた。豆が2つ以上入っているものもあった。種の生命力はなかなかのもので、もう根らしき白いものが出ている団子もあった。

2012/04/16

芽が出る時期をずらすという知恵

先日の大風で、出たばかりの芽が飛ばされた。新芽が産毛みたいにほわほわ生えて、これから緑に覆われるのを楽しみにしていた畑は、また茶色の土の面になってしまって悲しく思っていた。

少しまき足してもよいかな、と思っているうちに、長い風邪をひいてしばらく畑に行けなくなった。Mが撮ってきてくれた写真を見て、植物に備わった知恵はすごいと改めて思った。


また芽が増えていた。まだ出ていなかった種が、南よりの畝から北よりの畝に飛ばされてきたらしく、北よりの畝に生えた芽が多くなっていた。

大風が吹いて飛ばされた芽があっても、また後から生えてくれていた。固定種・在来種の種だけをまいてあったので、発芽が揃う一般的なF1(一代交配種)とは違い、発芽の時期がずれるというのは本で読んで知っていたが、一斉に芽を出さずに全滅を防ぐことの意義を改めて実感した。

北西の畝 芽がほかの畝よりも多い

新しく出てきた芽たち

風で飛ばされて、畝と通路の境目に根付いた小松菜。
虫に少し食べられているようだが、一番たくましそう。

じゃがいも、初めての発芽。

こちらもじゃがいも。キタアカリ?農林一号?
自然栽培で自家採種の食用芋を、おいしかったので、
タネ用に残しておいて植えたもの。


発芽まで乾かさないように、というのが定説の人参。
乾かないように枯れ草で覆って、頻繁に水やりをしていたものの、
大風で丸裸になり、すっかり乾いてしまった。
あきらめていたころに出てきてくれた。




2012/04/07

風にも負けず

またしても強風に見舞われた。その前日、管理人さんに、「明日はこの間よりも強い風が吹くそうですよ」と言われ、ビニールシートで覆うなどの対策をするのも手だと教えられたが、結局、そのままにしておくことにした。
 次の日の夜、恐る恐る畑を観察すると、出ていた芽は無事に生き残っていた。飛ばされた芽もあるかもしれないが、見た目には減っていないように思えた。
 その後の2、3日で新しい芽がどんどん出てきた。最初の強風で多くの芽が飛ばされ、寂しくなっていた畑に賑やかさが戻ってきた。種が芽を出すタイミングというのは不思議なものである。同じ種類の種は、同じ時に芽を出しやすいが、全部一気に出てくるわけではない。最初のタイミングにいくつか芽を出し、また別のタイミングを見計らって出てくる。早く出てこないかな、少ししか芽を出さないけど大丈夫かな、などと、勝手な心配をしてしまいがちだが、種に任せておけばいいのである。いいというよりも、そうするしかないし、種よりも人間に正しいタイミングをわかりっこない。芽が飛ばされると悲しくなり、心配になるが、それも人間の感情と勝手な判断によるもので、何がいいのか悪いのかわからない。とにかくなるべく手を加えず、自然の成り行きを観察していきたい。

2012/04/03

何がいいのか悪いのか

  先日、風の強い日があった。昨日、農園に行くと、畑の上にかけていた藁がほとんど吹き飛ばされていた。まだ草の生えていない裸になった畑を見ると、芽が減っているように感じた。畑の周りに落ちた藁を見てみると、やはり抜けてしまった芽が混じっていた。
草が全く生えていないのは不自然だと考えて藁をかけていた。それに、何も生えていないところに出てきた芽が寒さに耐えられるか不安に思って藁をかけていたわけだが、藁を敷いて土の表面の温度を上げることで発芽しやすくなった、しかし、そうして出てきた芽は藁があるから出てきたわけで、その藁が急に全部飛ばされるとは思いもよらなかっただろう。もうだいぶ暖かくなってきたので温度変化には耐えられても、出たばかりのまだひ弱な芽は、藁に引っ張られて引き抜かれてしまった。
人間がよかれと思って、一つ手を加えると、それによって植物が育ちやすくなるように見える面もあれば、予期しなかった悪い面も現れる。何がいいのか悪いのかはわからない。もともと何もないところに、自分たちが種を選んで蒔いたわけだ。その時点で、人為が加わっている。その後、いろいろ手を加えるよりも、全く何もしないほうがいいのかもしれない。この「いい」「悪い」というのも、人間の都合だ。見た目に健康に育ったおいしい野菜がたくさんできれば人間にとっては「いい」と考えるわけだが、自然の目からすれば何がいいのか悪いのかわからない。
一見、不都合なことが起きてているように見えると、何か手を加えたくなる。しかしそこを我慢してなるべくじっと見届けたい。ジャガイモを植えたところに蟻の巣ができていたが、何もせず、観察することにした。

2012/04/01

葉物が発芽

  3月上旬にまいた葉物の種。なかなか芽が出てこないので、時期が早すぎて、寒さで死んでしまったのだろうかと心配した。
19日に見に行ったら少しずつ芽が見え始めていて、その後、日を追うごとに芽が増えていた。29日に見に行ったら、紫色の小さな芽が一斉に出ていた。「あったかくなったし、今日にしようか~」とでも話し合ったみたいだった。いろんな種を混ぜて播いたので、本葉が出るまで何の芽なのかわからない。
  近所を観察すると、つくしがにょきにょき生え、河津桜が満開になり、あんずの花が三分咲きくらいになった。はこべが広がりはじめて白い花を咲かせ、ホトケノザも背が伸びて赤紫の花がきれいだ。なずなも大きくなって、電車の沿線で野草化した菜の花もたくさん咲いている。野菜の種も出るべき時期がちゃんとわかって芽を出してくれた。気温や地温、種袋に書いてある播種時期ばかりを判断材料にしていた私は愚かだった。
ベランダのカモミールの芽
  ベランダで種をまいて育苗中のカモミールは、20日経っても芽が出なかったので、寒さで死んでしまったものと信じこんで、上からまた播きなおしてしまった。上から撒いた種は本の通り1週間程度で発芽を始めた。しかしよく見ると、同じ頃に少しずつ、その下からも芽が伸びてきた。先に播いた種は死んでしまったのではなく、じっとしてあたたかくなるのを待っていたのだった。カモミールの種は好光性種子で、土はなるべく薄くかけるようにと本には書いてあった。土を厚くかけてしまって、下の種にはかわいそうなことをした。

2012/03/31

野菜との関わり

  子どもの頃、野菜が美味しいなんてほとんど思ったことがなかった。野菜とは、栄養を摂るために頑張って食べるものだった。
  野菜が美味しいと感じ始めたのは、有機栽培や自然栽培で作られた野菜を食べるようになってからだ。味付けをほとんどしなくても、生のまま食べても美味しくて驚いた。
  最初、有機栽培と自然栽培の違いがわからなかった。自然栽培といっても定義に幅があり、いまだによくわかっていないが、とにかく出来るだけ人が手を加えない方法だと知った。植物本来の力だけで育つのだと。そうしたほうが人間にとっても美味しく育つのだと。このことは自分にとって、驚きだった。それまで、農薬が化学肥料を使わない栽培というと、「マイナスを消す」栽培方法だと思っていたが、人間が手を加えないことで、植物本来の無限のプラスが生まれるのだと気づかされ、感動を覚えた。野菜は育てるものだと思っていたが、自然に育つんだ、人間が管理して育てるよりも、自然に任せておくほうが植物は元気に育つ。そのことには何か大きな意味があると感じた。
  有機栽培や自然栽培の野菜を食べているというと、農薬や化学肥料を恐れ過ぎている、あるいは贅沢だ、と思われる方が今でも多いのではないかと思う。自分も最初の頃は少し贅沢だと感じていたが、それに慣れると、元には戻れなくなった。味がいいし、体調もよくなってきたように思う。農薬や化学肥料は、いくら科学的に安全だと言われていても、そういうものを使った作物を自分はなるべく摂取したくないと思っている。
  そしていつしか、野菜を買って食べるのは不自然だと感じるようになった。そのことについてはまた改めて書きたいが、そうこうしているうちに、小さな畑を始めた。人は知識でわかったような気になるけれど、自分でやってみないことには何もわからない。何もわからないところからのスタートとなった。(M)

2012/03/19

畑じゃないところ

  もともと空き地だったこの土地は、道行く人にゴミ箱扱いされてきたようで、ゴミがたくさん出てくる。空き缶、空き瓶、ペットボトル、お菓子のカラ、粉々になったビニール、錆びた物干し竿、肥料袋、ネット、ポリ紐、手袋、変色した乾電池、使い捨てライター、タバコの吸殻、タバコの空き箱、バスマット、割れた植木鉢など、ちょっとびっくりするほどだった。持ってきたMサイズのゴミ袋はたちまち2袋満タンになった。自転車なども出てきたと、前に管理人さんにきいた。
 農園のまわりの畑でない場所は普段、枯れ草で土の表面が覆われている。枯れ草の上に見えていた犬のフンやゴミを片付けた。花でも植えたら、きっとポイ捨ても少しは減るかな、と、管理人さんに許可をもらった場所に花を植えることにした。
 花を植えるために、枯れ草をめくってみると、またゴミが積もっていた。枯れ草をめくったときに、すぐ下にあったフンに気づかずに触ってしまい、ぎゃーっと大声をあげて軍手を捨てた。犬のフンも古いのから新しいのまでいっぱいあった。植え穴を開けようと、土をほると、またゴミが出てくる。プラスチックゴミは土に還らないはずだけど、土の中で何年も経ったようなのは、粉々になって、風化寸前に見えた。こんなのが土に還ってしまったら、有害物質が溶け込んでしまうんじゃないの、いや、その前に、虫とか微生物はこんなの食べてしまっているの?と心配になった。怒っても仕方ないと思いつつ、やっぱり腹が立ってくる。バレなきゃそれでいいのか。
運営会社のほうで植えてくれていたパンジーで元気がないのがあったので、ちょっと掘り返してみたら、根っこがあんまり伸びていなかった。掘った穴を見ると、やっぱりポリ袋などがのぞいている。ゴミを取り除き、「こんなところに根っこなんて伸ばしたくなかったよね、ゴメンゴメン」とパンジーをなだめて、もとの場所にもう一度植えた。
 畑がいくらいい土でも、畑のまわりにあんなにゴミやフンがあったら、農園全体の生き物たちはバランスを保てないと思う。気分も悪い。畑と畑じゃないところはネットで区切られていて、別々に見えるけれど、空気も土もつながっている。病気や虫が出たら、有機の薬で退治すればいいとか、虫よけになるものを置けばいいとか、いろいろ情報はあるけれど、農園全体の環境をできるだけ自然な状態に戻すのがいちばん大切なことだと思った。
 ちょっとずつ花を植え、だんだん賑やかになってきた。うちのベランダで虫に食べられた鉢植えの花(写真の左下のちっちゃいの)も、根っこが生きていたらしく、鉢の中でまた芽を出してくれていた。地植えしたら、だんだん大きくなってきてうれしい。出入り口のある門の前の段差を平らにならして、門の両脇につる性のジャスミンを植えた。あったかくなったらネットをつたって大きくなって、出入りのたびに甘い香りをさせてくれると思う。